どーもボキです。
先日、おとうさんの四十九日が終わった。
おとうさんはこれまで一度も大病をしたことがない人だった。10数年前に軽めの糖尿病がわかってからは、毎食の食事の記録と、毎日5kmのウォーキングを続けてきた。ボキの娘の成人した姿は当たり前に見せられると思っていた。
この7月、2回目のコロナワクチンの副反応が強く出たかと思っていたら、日にひに四肢が弱り、立ち上がれなって搬送された病院で、肺がんステージⅣと診断された。すでに手の施しようのない状態だったらしい。おとうさんもこの告知を受け、自分の身体にこの先起きることをすべて知っていた。そのうえで、残りの時間を自宅で過ごすことを選び、腫瘍が広がっていた脳への放射線治療を受け退院した。家族に手をかけさせないようにとリハビリとして家の中を歩き、自分がいなくなったときに困らないようにと家族全員を集め大事な話を伝えてくれた。今後の手続きに必要となるものもほとんど集めてあった。最期まで、弱音は言わず、家族への感謝と残されるおかあさんのことを気にかけていた。

大事な話のときにボキも含めて3人の息子に渡された時計
ボキは、23歳のときに父を亡くしている。ガキだったボキは受け入れることができず、最後まで感謝を伝えなかった。最期が近いとわかっていながら、何か奇跡が起きるかもしれないとあり得ない期待をしていた。だから、最期の場に立ち会えなかった。母が、ボキからの分も含め、感謝を伝えてくれたと聞いている。それが伝わったのかはわからない。
そのときの後悔があったので、おとうさんには父と同じように尊敬し、実の父のように思っていること。おとうさんと家族になれてうれしかったこと。おとうさんのことを大好きなことを伝えた。子供ような表現しかできなかった、それでも伝えた。ハグもさせてもらった。もともとサラリーマンとして将来を期待されていたこともあったからだろう、病床に伏せる中、ボキが昇格したことを伝えると、泣いて喜んでくれた。
最期となった前日の晩、電話でもう一度、これまでの感謝とおとうさんのこと忘れないことを伝えた。すでに会話できる状態ではなかったが、切る直前に口の動きで「もう遅い時間から、これで解散」と伝えてくれた。最期の瞬間、ボキはその場にいることはできなかったが、妻と娘をおとうさんに会わせることができた。
これからボキのできる恩返しは、妻や子供たちを幸せにすることと、妻の妹弟の家族と協力しておかあさんをさみしくさせないこと、そして、ボキ自身も幸せになること。おとうさんは、ずっと学び続けていたから、最期までの短い時間でこの先のことを受け入れることが出来たんだと思う。おとうさんも、そして父も、最期まで弱音を一言も言わなかった。ボキはそうなれるんだろうか……。ボキも二人のように、一日いちにちの時間を大切にし、後悔のない人生に、そして少しづつでも人生を充実したものにしていきたい。
この記事での気付き・取ってほしい行動
大事な人・思いを寄せている人との別れる・離れることがわかっているなら、絶対に気持ちを伝えるべきですね。やったときの後悔より、やらなかった後悔の方が圧倒的に大きいですから。そして、最期のお別れに関しては、言いたかったことをしっかりを伝えられていると、その後の気持ちの整理がつきやすくなると感じました。
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